宇宙戦争 (ジョージ・パル)

よくできた映画だ。半世紀近く昔の映画とは思えない。特殊効果などで時代を感じさせる部分はあるが、CG に飽きた目から見ると逆に新鮮。
改めて見ると、ウェルズの原作とは火星人が攻めてくるという基本的なプロット以外はまったく違うストーリー展開になっている。舞台ももちろんイギリスからアメリカに変更されており、特に主人公のロマンスをストーリーの真ん中に持ってきている部分が目立つ。

しかし、私が感じるもっとも大きな原作と映画の違いは別の場所にある。それは宗教に対する見方である。原作では、周りを火星人に取り囲まれた壊れた家に主人公が一緒に閉じ込められるのは、見習いの牧師だったように記憶している。原作ではこの人間が愚痴っぽい上に精神的に弱く、その上ずる賢くどうしようもない人間として描かれている。乏しい食料や水を等分に分け合っているのに、大きな声を出して火星人に自分たちの居場所を知らせてしまうぞ、と主人公を脅して巻き上げるなど、ほんとうにひどい。
結局この牧師補はその人間性にふさわしい最期を迎えるのだが、いい気味だ、とほとんどの読者は思うのではないか。しかし、映画ではこんな人物は出てこない。

また、冒頭のシーンで神父が火星人に十字架をかざしながら、神による同じ被創造物どうしじゃないかと説得しようとする行為も、原作では結構皮肉な目線で描かれていたような記憶がある。妄信によって命を落とす愚かさを強く感じたが、映画では信念に殉ずる英雄的な描かれ方をしているような印象を受けた。

そして何より、映画のラストシーンの解釈が原作と全然違う。暴徒と化す人々と対比して、火星人に破壊されつつある町に残り、教会で奇跡を祈りながら静かに待つ人々。彼らの祈りが通じたのか、教会を破壊しようとした瞬間、火星人は病気で絶命するのだ。キリスト?をかたどったステンドグラスが破壊された直後なので、まさに救世主によって人類が救われた、という意味なのだろう。そして「火星人は神の作ったもっとも小さい創造物ウイルスによって倒されたのだ」というナレーションが入って映画は幕を閉じる。

映画としての面白さは認めるが、これは少なくともウェルズの作品と、その根底にある思想を無視した改竄だよな。ひどく世俗的な奇跡の解釈は、私からすると非常にカルト的で気味が悪い。こういう土壌の上に、キリスト教世界による信念に満ち後悔を許さないさまざまの悪行が繰り返されてきたのかな、と寒気を感じた。