森鴎外 ヰタ・セクスアリス

出張帰りの電車の中で、携帯電話で読む。森鴎外の「かのように」を読もうと思ったが、青空文庫からダウンロードしていたデータにはなかったので、少し前に途中まで読んでいたこの作品の続きを読む。

何回読んでもこの作品はすごい。

「性生活」というそのものズバリなタイトルもすごい。とにかく日本の現代小説の元祖のひとりとなった超インテリ役人医師が、もうあからさまに性についてのことを書き散らす。これって発表されたときはどんな風に受け取られたのだろう。
一応、小説仕立てになっているが、どう読んだって、回顧録である。しかも前半部分、大学の寮で生活している間は、ずっと上級生からの強制的な男色から逃げ回る話が続く。しかも、その後、心配なくつきあえる同室の友人ができたと思ったら、そいつは一ヶ月に一度くらい、どーもたまらんようになって、下級生の所に行って(もちろん男)なんかやって帰ってくる、ってな話が延々と続く。もうはっきり言って、明治時代の男性大学生の9割くらいは、もうそんなことばっかりしてます。男どおしで。


後半も、通学時に毎日のように見かけるかわいらしい女の子を気に入っていたが、実は寺の坊さんに金もらって囲われてたらしいとか、初体験は新聞社のやつに無理やり連れて行かれた専門店で済ませました、みたいなこととか、宴会の席で、別室に呼び出され、それ専門の芸者が、着物着たままなんか短時間でしてくれました、みたいな、純真な私には想像もつかないことが延々と書かれている。


しかもそんな中にいきなり、ニーチェだとかショーペンハウワーなどの名前がアルファベットのままで出てきて、言葉を引用するのだ。学生時代の単語記憶法の部分は、えらく具体的に説明を長々とする。語源を調べて分解して意味単位で覚えろ、ってな、西尾の豆単みたいなとこもある。ノートの二種類用意して、講義を受けている際に、メモを書き分けてしまう、とか。

なんなんだこの小説は。

最初に読んだときは、夏目漱石の「草枕」か何かで、主人公が床屋に「フケ落としておいてくれ」と言って、頭をごしごししてもらって白いフケが着物に降り注ぐとこを読んだときくらいの衝撃を受けた。

このあからさまさはすごい。全体の構成がどうとか、何も考えてなさそうだ。これこそニーチェの言う「デモニッシュ」な作品だ。