復活の日、日本沈没、首都消失

ヨメはイッセー尾形の公演の後、娘を預けている実家に戻った。私は自宅に戻った。
私一人でテレビを眺めて過ごす。
復活の日」が放送されていた。やはり、この映画はいい。若い時期に見たときには恥ずかしかった「クサい」表現も、この歳になれば許容できる。原作にはない「人生はいいもんだ」のセリフでさえ、少し感動したりする。

そして、小松左京の映画化された「復活の日」「日本沈没」そして「首都消失」などの作品の底に流れるのが、大事な人、大事なものを失った喪失感であり悲しみであるということにいまさら気づいた。膨大な科学知識や、作品の中にぶち込まれたガジェットに隠れていたけれど、ある意味とても情緒的な、センチメンタルなものが真ん中にあるのだ。それは、第二次大戦で小松左京自身、そして同年代の日本人の多くが感じたことなのだろう。

新しい映画「日本沈没」では、そこがきちんと描かれているといいなあ。映画館には観にいかないけれど。