日本ファルコム、木屋善夫さま

なぜか、昔やったPCゲームが懐かしくなった。

ドラゴン・スレーヤー
タモリとかがキャラで出てきた。わけわかんなかったけど、おもしろかった。
ザナドゥ
はまった。あそびまくった。フロッピーディスクの抜き差しをうまくおこなうとそのレベルの敵キャラが復活するので、それを利用して自分のレベルを上げまくった。巨大なボスキャラを見事に動かしてたなあ。
ソーサリアン
それまでの RPG は、自由度が狭かった。たとえば「職業」だとかも選べるのは数種類。ストーリーも基本的にひとつで単純。しかしソーサリアンでは選べる職業が多く、さまざまなストーリーをシナリオという名前でパッケージ化。画期的だったなあ。

これらのゲームはすべて1人の天才プログラマー(ゲームデザイナー)が中心になって作ったもの。その当人である木屋善夫氏は、ゲーム総合誌「ログイン」か何かのインタビューで「私の作るものは、常に動いている状態だから…」といったことを発言していた。コレがすごかった。それまで私自身プログラムを作ることもあったが、部品を作っていって、動くのは全部ができたとき、という作り方だった。しかし、常に動いているということは、プログラムのベーシックな部分、もっとも根本的な部分を先に作ってしまって、後はそこに新たな条件を追加することでプログラムを拡張していき完成させているということだ。当然のようでいて、これは難しい。なぜなら、もっとも本質的なところは、最初の段階ではわかってない場合が多いからだ。最初にそれを見極めてしまえるというところが「天才」の称号が与えられるゆえん。当時はそこまで考えてその発言に感動していたわけではない。しかし、このような伝説的なプログラマの発言の端々を読むことで、無意識のうちにプログラムという行為が、物事を抽象化して典型として具体化するある種のアートであるということを感じていたように思う。