ゴジラ FINAL WARS、惑星大戦争、スターログ

ゴジラ FINAL WARS」に轟天号が登場しているようだ。びっくりした。思い出したことがあるので書いておく。

以前旧スターログ*1に映画「惑星大戦争」についてのエッセイが掲載された。それは、映画の宣伝ではなく、日本のSF映画の置かれた状況について、諦念とともに吐き出したため息のような文章だった。あるいはメインはスピルバーグ製作の映画「トワイライトゾーン」の撮影中に事故で死亡したヴィック・モロー*2の追悼のための文章だったかもしれない。記憶が薄れていて、書き手が誰だったかも思い出せないが、実際に「惑星大戦争」にかかわった人物だったはずだ。

もともと「惑星大戦争」は「スターウォーズ」による SF映画ブームに便乗するために東宝が立ち上げた企画。「スターウォーズ」の邦題になる予定だった「惑星大戦争」をそのままタイトルにいただいちゃった、という当初から志の低い映画だった。

キューブリックの「2001年宇宙の旅」はずいぶん昔。「スターウォーズ」もすでに見ていた筆者は、東宝の態勢でそれらに匹敵する映画が作れるわけないとわかっていた。せめて、古いが良質な米国のSF映画並み*3にしたいものだとの意思を持って企画会議に参加していた。しかし東宝の幹部が「うちには轟天号があるじゃあないか」と言ってそれを使うことが決まってしまった。何もわかっていない人物の思い付きで、大事なコンセプトが決まってしまう会議。まるで現在の多くの大きな日本企業の会議を覗いているようだ。私も最近参加する会議はそんなものばっかりになった。身につまされる。さらに、さまざまな制約。当初持っていた小さな希望さえかなうことのない日本におけるSF映画の状況に筆者は脱力感を覚える。

東宝が「惑星大戦争」を製作していたとき、まったく同じ動機で東映も「宇宙からのメッセージ」を撮影していた。この映画に敵役の総大将として配役されたのがヴィック・モローだ。筆者は招聘されたヴィック・モローとたまたま会い「酒を飲めるところはないか」と聞かれて繁華街の場所を説明した。「ありがとう」と言ってひとりで立ち去る後姿を、どこか切なく見送った。

「惑星大戦争」「宇宙からのメッセージ」ともに、部分的にがんばっているところはあるにせよ、SF映画としての出来は散々だった。1977年〜78年のことだ。

1983年。スピルバーグ製作のオムニバス映画「トワイライトゾーン THE MOVIE」でジョン・ランディス監督のエピソードに出ることになってモローは喜んでやる気になっていたらしい。しかし、撮影中にセットのヘリコプターが落下、下にいたヴィック・モローとベトナム人役の子役が死亡してしまう。この知らせを聞いて、筆者は思い出す。異国の地でひとりで酒場の位置を訪ねて雑踏の中に消えて行ったヴィック・モローのことを。

引用だかなんだかわからない状態になったが、このあと1984年に「さよならジュピター」が公開されるわけで、もしかしてこの筆者は「さよならジュピター」がどうなるか予想がついていてこの文章を書いたのでは、と思わせる。すでにこの頃のスターログは私の手元にないので、ここまで書いたことが正しいのかどうか確認のしようがないのだが、当時私はこのエッセイに強い印象を受けた。そして最近、もしかすると当時よりも、筆者の感じていたものがはるかにはっきりとわかるようになったのかなと、悔しく思う。

ゴジラ FINAL WARS」には、また「轟天号」が出ているそうだ。誰に見せたいのか。何を訴えたいのか。そこの部分が空っぽなのがわかる。過去のキャラクターを適当に出しとけば、観客が喜ぶと思っているらしい。観客を馬鹿にしてる。愚かなことを何度繰り返せば済むのだろう。

*1:今のスターログとは出版社も内容も全然違う

*2:米国の古い人気テレビシリーズ「コンバット」でサンダース軍曹を務めて日本でも比較的知名度があったようだ。

*3:「禁断の惑星」だったか...