Lotus Notes 生みの親の作った Groove がマイクロソフト傘下に

会社のマシンにずいぶん昔にインストールしていた Groove を削除した。
今 Groove がどうなっているのか調べたら

http://www.atmarkit.co.jp/news/200503/12/msgroove.html

あれれ、今年になって、Lotus Notes*1の生みの親でもある Groove の開発者がマイクロソフトに入ってたのね。ずいぶん前の話なのに、知らなんだ。

私が思うに、Lotus Notes はパソコンのビジネスコンシューマソフトウェアの中では EXCEL と肩を並べる突出した存在だと思う。マーケティングや、デザインに関する問題。アプリケーションのプラットフォームになってしまうことで、仕様や実装の詰めの甘さや指摘され、アンチを発生させてしまったため本質的なすごさが見逃されている感がある。

私が思う Lotus Notes の凄さは次の点だ。

  • 情報処理の理論を一切知らなくてもとっつき安いカード型データベースの形にすべての情報を統合してみせたこと。特に、Lotus Notes 自体の設定情報もすべてノーツデータベースになっている点は徹底している。
  • 分散データベースの実現。レプリケーションのしくみ。アカデミックな世界や、業務系情報処理の世界でデータの内容の整合性を保つために、実現が極めて困難だと思われていた分散データベースを、実に簡単な割り切りで実装したこと。データベースに対する「ロック」の処理をおこなわない。複数に分散したデータベースの同じ文書が同じ頃に修正されたら、一方を競合文書として人間の目に見えるように目立たせ、競合文書の解消は人手でおこなう。これによって、多くのトランザクション処理をするデータベースではできない分散データベースを実現している。しかも分散データベースの作成はきわめて簡単。ファイルのコピーのイメージでおこなうことができる。特にネットワークがなかったり、劣悪だったりするモバイル環境でデータベースアプリケーションを持ち出すことが実に簡単にできる。あくまで業務系のデータの共有でなく、情報系のデータを共有するしくみであることを前提にしてこその割り切りだ。このしくみに追いついている統合的な環境はいまだに存在していないと思う。
  • セキュリティレベルをあげるための実装。特にノーツのIDファイル。他の業務用ソフトウェアの開発者が理解もできていないような公開鍵のしくみを、システムに見事に組み込み、利用者に意識させずに使わせていた。しかもそれを90年代後半には実現していた。マイクロソフトは最近になってようやく EFS (Encrypted File System) や ライツマネージメンツなどセキュリティに関する機能について取り組んでいるようだが、この点においては、いまだに Lotus Notes には追いついていない。しかも、これらの機能を使うにはややこしい環境づくりが必要で敷居が高い。

コンピュータのソフトウェアの開発で一番重要なのは、どこまでをコンピュータでやらせて、どこまでを人間がやるのかという線引きだ。この加減を失敗すると、ソフトウェアは価値を失う。私の会社のある部門の人間が作ったシステムは、売上実績を入力する画面で、元になった円単位の資料から、入力者が100万円の桁で「四捨五入」して入力しなくてはならないしくみだった。こんなしくみを作る人間にはコンピュータのソフトウェアを企画開発する素養は一切ない。全く逆で、初期の Lotus Notes はこの見極めが見事で、達人が名刀を使ってばっさり切ったように、絶妙の場所にこの境目があった。しかし、徐々にこの境目の見極め方がおかしくなり、最終的に Lotus Notes のソフトウェアの本当の価値がわかっていない IBM に買収され、彼らの構造的だが理念が先行しすぎた自社の製品戦略の中で埋もれていってしまっているように見える。

使う側にも原因があった。Lotus Notes は自らの仕様や実装で無言のうちに語っている。業務系のシステムではなく、情報系のデータ、情報の共有に使って欲しい、という強いメッセージである。しかし、このソフトウェアの自身の声を聞かずして、はさみを耳かきに使うような間違った使い方をするシステムの開発者が増えてしまった。Lotus Notes はそういった用途にもだましだまし使える程度のキャパシティはあった。問題は間違った、少なくとも向かない用途に使っておきながら、使いにくい、使えないという評価をおこなう人々が多かったことだ。こういった人々が、Lotus Notes の普及や発展に大きな足かせになってしまったのはたしかだと思う。はさみを耳かきに使って、失敗して血が出て騒ぐようなもんだと思うが、こういった一見 Lotus Notes 側の発言が逆に影響を持ってしまったのではないか。

実は、同じことを HTML にも感じている。
「BRタグは改行。Pタグは一行空ける」といった類の実装をしてしまっているウェブサイトの生成ソフトウェアは多い。これは、実は100万円の単位で四捨五入して入力するシステム並みにひどい実装だと思う。幸運なことに HTML は代替がなかったので、廃れることなく発展し続けているけれども。

世界は「実存」だが、人が作るものには「本質」があるはずだ。どんな仕事でもそうだが、その本質を見極め、切り取ることが基本であり極意になると思うのだが。

*1:ロータスノーツ