ジョージ・パルの宇宙戦争を何ヶ月か前に観て違和感を感じていた。それは「神」によって人類が守られている、という原作の中にまったく込められていない主張を無理やり映画に加えた部分だった。スピルバーグ版にも、少しだけそういった匂いはしているが、ジョージ・パル版ほど狂信的な感じがせず、原作に近づいたストーリーになっていて安心した。
トライポッドが大昔から地中に埋められていた、というプロットはどうかと思うが、それ以外の部分は主人公を子持ちの父親にした割に忠実に映画化していたと思う。
- 出版社/メーカー: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
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この作品は多分あえていくつか観客が引っかかる部分を作っていると思う。
- 知り合いの整備士が預かっていた車を奪って家族で逃げ出した。
- 息子と娘のどちらを取るかの選択を迫られて娘を選ぶ。
- 精神を病んで自分たちを危険にさらす男を殺して自分と娘が助かろうとした。原作では「牧師補」が同じような位置づけで出てくるが、直接殺しはしなかった。
自分ならどうしただろうか、と観客に考えさせようとしているんじゃないか。答えはこれだ、と言っているわけじゃないようだ。私はしばらくぶりに「カルネアデスの板」なんて言葉も思い出したりした。
私はプライベート・ライアンも含めてスピルバーグの作品に嫌な感じを持たない。それは、作品が自分の主張の押し売りにならず、あくまでスピルバーグが想像するリアルな映像を積み重ね、登場人物を淡々と描いた上で、押し付けがましくなく観客をいい意味で放り出している感じがするからだ。
プライベート・ライアンの最後で、年老いたライアンの家族の姿を映した後、星条旗を透かして見せたことを偏狭なナショナリズムとして受け取って非難した人がいたが、どうなんだろう。星条旗が画面に出たら米国万歳という意味とは限らないんじゃないか。
まあ、映画評論じみたことを雑誌に書いているような連中の中には、あきらかに戦争やファシズムを痛烈に風刺していたポール・バーホーベン監督の「スターシップ・トゥルーパーズ」を好戦的だと言ってしまうような、ほんとになーにもわかってない奴がいるのだからしかたないが。
元妻の住む高級住宅地の豪邸が立ち並ぶ場所一帯は、人気がまったくないのに電気が煌々とついていたのかはよくわからないが、あわてて住民が逃げ出したってことなのだろうか。