投票した候補が当選したがうれしくない

風邪だったので、外出は嫌だった。しかし、投票には行ってきた。そして投票した候補が当選したのだが、うれしくはない。
なぜか。それは平松邦夫氏のマニフェストと、はしづめ紳也氏のマニフェストを比較すればわかる。平松氏のマニフェストは、マニフェストとは言えない。具体的にどのような政策を行いたいかの概要さえ書いていない。はしづめ氏のマニフェストには、具体的な政策案が数値付きで掲載されている。実現するかどうかは別にして、何かをする前に腹案を持っているということは重要だ。間違っていたとしても、自分としてのアイデアがない人間は、結局声の大きな他人の都合のいい話に乗せられてしまうからだ。
なお、関氏のマニフェストは、この種のものを見慣れている目からすれば、わかりやすいものだ。ほっておけば可能な数値目標を、努力目標に見せかける。たとえば人員削減を必死でやるように書いているが、地下鉄事業の企業への払い下げや、美術館、博物館の独立行政法人への移行など、別の場所で書いている話とくっつけた名目上の削減に過ぎないのは明確だ。実質上、何の痛みもない施策を一方から見て、人員削減、もう一方から見て外郭団体化という二つの施策を実施するかの様に見せる役人にとって一石二鳥の詐欺話だ。まあ、こういう匂いに敏感になるのも、自分自身も会社の中で、こういった美味しい企画書を作り続けているからだけど。とにかく、関氏のマニフェストは平松氏のマニフェストと同程度にひどいものだ。

また、平松氏がマスコミという、日本最大、そしてもしかすると最後の規制によって守られた業界出身であることが不安を呼ぶ。MBSというテレビ局は、民間企業という制約の中で、がんばってさまざまな調査報道を行っており、NHKに比べれば100万倍偉いと思う。しかし、放送法再販制度に守られたテレビ・新聞業界の中にある弱小企業であることも確かだ。そういった企業で、うまく出世してきた人間が、どの程度、本質的な改革を行えるのか。不安は尽きない。

しかし、政権交代こそが政府を腐らせないための唯一の方法だからと思って、あえて平松氏に投票した。もし、頓珍漢な事をするようだったら、次回別の候補に投票したいと思う。それも政権交代だからだ。