裸でお尻を丸出しにしてお金をもらう気の毒な人に求める道徳。税金使ってギャンブルの胴元やって大赤字出している人に認める自由。

モンゴルから出稼ぎに来ているお兄さんが、謝罪会見なるものをやったらしい。*1

人生に無駄が必要だとしても、いい大人がずる休みしてサッカーやった、やらない、なんて情報をたいして大きなキャパシティのない平均的な日本国民の脳みそにデータとして大量に刻印するのは、無駄を通り越して国家的な損失につながる作業だと思う。

肛門の専門家は、お風呂でごしごしお尻を洗うことは避けたほうがいいと言っていた。背中を洗った残りの少しだけ流れてきた石鹸の泡を使って軽くなでるくらいにしましょう。粘膜なので強くこすってはいけません、とのことだ。だから、私もお尻出しお兄さんのサッカー問題については、お尻に流れてくる石鹸の泡として対処しているので詳しい事は知らない。ただ、流れてきた泡をもとに無駄話をしてみるわけである。

それにしても、変な話である。

太っちょのお兄さんが、はだかんぼでお尻を出して、固めた砂の上でゴロゴロ転がってるところを見せものにしてお金をもらっているわけである。まことに気の毒である。小さい頃にもう少し勉強してたら、せめてお尻くらいは出さずに済む職業につけたかもしれないのである。勉強の大切さをこれほど感じることもない。お尻を出して金を稼いでたのは往年の飯島愛だが、彼女だってすごく恥ずかしかったと言っていたではないか。彼女の大ベストセラーにそういうことが書いてあったのではないか。読んでないから適当なこと言ってるけども。

しかも、その職場は3Kである。きつい、苦しい、殺される、である。もしくは、かわいがられて、かわいがられて、殺される、だ。肥えて、肥えて、そしてやっぱり殺されるのである。ちゃんこを食って、食いすぎて、そして、殺されるのだ。

そんなリスクが高く、ちゃんこ屋以外に転職のできないつぶしのきかない将来のない職業について、毎日のようにお尻を人に見せてお金をもらってる気の毒な人たちである。しかも限られたマニア向けじゃなくて、自分の小学校の時の同級生とかも簡単に観れちゃうようにするために、日本国中に頼んでもいないのに電波で飛ばすおせっかいでいやーな連中もいるのだ。学校の時に上半身の裸も見せたことのない憧れのあの同級生の長谷川さん(仮名)に、おしり丸出しで土の上を転がっているところを観られちゃう可能性もあるのだ。

しかも、塩である。四角い土マットの上に塩をまく。まきたくない、という自由もないのだ。環境に配慮して私のときだけリサイクル塩にしますってーのも許されない。コクが違うから伯方の塩でというのもなし。だから、例外なくちょっと味見してみたくなるのだ。誰だってそうである。食べ物をわざわざ土の上にぶちまけるのである。滋賀県の県知事や、赤福船場吉兆の経営者並にもったいない気持ちが生まれて当然である。捨てるくらいなら、味を見てやろう。そしてこれが命取りである。かわいがられて、かわいがられて、殺される運命も免れても、ちゃんこ食って、食って、高血圧である。明らかに早く殺そうとしているのだ。だからこそ、30歳くらいで引退したら、いきなり「年寄り」呼ばわりだ。年寄りだから、さっさと死んでほしいわけだ。お前は年寄りだよ、何時死んでもおかしくないよ、という意識づけだ。ああそうか。俺は年寄りなんだなあ。50年も生きたし、ちゃんこもたくさん食べたから、もう死んでもいいや。そういう気持ちが大切である。そうじゃないと、限られている年寄り株は、次の世代に渡せないのである。

そんな職業に就きたくないからこそ、日本の若者はフリーターとニートのどちらかを選ぶのだ。そしてモンゴルとかハワイから太っちょが輸入されるのだ。

引き締まったお尻ならまだしも、脂肪で包まれてぶよぶよしたお尻を、初恋のあの人に有料の国営放送で見られながら、わずかな金をもらって浴衣で過ごす毎日である。苦労を重ねて、ようやく一番偉くなったのだ。奇跡的に殺されもせず、ちゃんこ屋にもならず、上り詰めたのである。言ってみれば裸でおしり丸出しの世界では、社長である。裸でお尻丸出し界の王様である。裸でおしり丸出しの天皇である。一番偉い人なのだ。自由にさせてくれよ、と思うのは人の性だ。それにしたって、社長室にジャグジーやらダブルベッド置くわけじゃないのだ。里帰りしてサッカーするだけなのだ。しかもチャリティーだ。

そんな出稼ぎの兄ちゃんに、謝罪せよという料簡が理解できない。だいたい、毎日のように尻を国営放送で流されていること自体が罰ゲームみたいなものじゃないか。出稼ぎ、罰ゲーム、プラス謝罪である。どれだけ求めるのだろうか。朝鮮人の謝罪要求を超えている。朝鮮人だって、そこまでの謝罪を要求はしない。総理大臣がごめんなさい、と言って国営放送でお尻を出したら、さすがの朝鮮人の方々もやりすぎだと思うだろう。「そこまでしないて、いいてすよ」って言ってくれるだろう。「気の毒に。キムチたへますか。」って、キムチ分けてくれるかもしれない。「オンドルで温まってくたさい(発音は「オンドゥルギッタンデスカ)」って言ってくれるに違いないのだ。垣根の夏ミカン抱えて。

しかし、不思議なのである。変なのである。税金使って博打の胴元やって、大赤字出してる連中に謝罪要求はなしである。謝罪会見はなしである。裸で尻出しもなしである。だいたい、暴力をご職業にしている裏の社会の方々でも、博打で赤字は出しません。しかも子供の学力が下がってる、なんて言ってる役所の連中である。役所の名前に「科学」が付いているのである。科学的に考えて、博打で胴元が赤字になるなんてあり得ないのだ。子供の学力心配する前に、足し算と引き算を勉強したほうがいいのではないか。そのくせ偉そうに学力低下である。最近の若い者の学力がないのだ。さすがの若者もいつの間にか280億円使い込むほどのバカじゃないだろう。そんなことしていて、謝罪会見はなしなのである。自由を謳歌して年収は1,400万円である。かえすがえす不思議である。しかも博打主催の言いだしっぺは、次期マンガ首相候補である。現マンガ大臣である。そこには責任がないのである。自由なのである。

チャリティーでサッカーした責任は問うが、税金使って博打主宰して280億円の赤字垂れ流している連中の自由は確保するのである。不思議な国ニッポンである。不思議なのは当然である。外国人しかいないお尻丸出しの見世物が国技である。国技とは文字通り、国のわざである。新嘗祭の後は、総理大臣が国営放送でお尻出してみたらいいと思う。国の技なんだからラジオ体操並に誰でもできるはずだ。ザ・ワールド・イズ・マイン

*1:朝青龍とか言ってたっけ