アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲 (SHUEISHA PB SERIES)

アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲 (SHUEISHA PB SERIES)

雑誌の連載記事を集めたものだが、ものすごい話が並んでいる。フィクションでも、到底考え付かないような、とんでもない話が目白押し。前半は下ネタも多いが、後半はだんだん感動的な話が多くなっていく。語り方も、だんだんボブ・グリーンみたいになってきてるなあ。町山氏の単行本はほぼ全部持っていると思う。少なくともAmazonで購入できるものは。DVDだって購入した。さすがに、雑誌を全部追いかけるのは無理なので、次の単行本が楽しみ。

ポッドキャストでの映画語りは、中学生の頃に聴いていた淀川長治氏の名調子を思い出す。それまでは、TBSのストームがなくなっちゃうから「映画特電」だけだなあ。

累犯障害者

累犯障害者

なぜか絶版になっていたが、新潮社のウェブサイトでは、文庫本が500円で出版される予定のようだ。
待ちきれずにAmazonで古本を購入。

これを読む限り、日本の法曹関係者や、福祉関係者の未必の故意によって、障害者の一部の人々はほんとうにひどい状態に置かれていることがわかる。そのうち一部は犯罪者とされ、刑務所の中で一生の大半を過ごす。

会社の中の仕事でもそうだが、めんどくさい仕事には誰も手をつけない。必要であることはわかってもいても、誰も手を上げない。さらに、難しい仕事に使命感で手を上げて取り組んでも、難しい仕事はなかなか成功しない。すると、人々はどうするか。努力を認め、協力してくれるか。そんなことはない。他人事のようにして、批判するだけだ。

こういうことが続くと、ややこしい仕事はほったらかしになる。誰も手をつけない。しかし、本当はややこしい仕事は一番大事なことなのだ。矛盾が発生している部分は、ものごとの本質に一番近い部分なのだ。そこが改善されないと、うわべはうまく行っているように見える仕事の中に大きな空洞が広がっていく。瑣末な部分をきれいに仕上げることが優先され、本質的な問題を不完全であっても対処していこうという気風がなくなる。

なにか、社会であっても、会社の仕事であっても、本質はおなじように感じる。そして、少なくとも日本の社会の経年劣化によるゆがみは、さまざまなところにこれ以上維持できないくらいの大きさになって現れてきている。

山本譲司氏のこの著作は、その空洞をスケッチしたやりきれない記録だ。

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

借りていた本を読了。

マイケル・ムーアの映画でも散々伝えられてきた米国の格差社会化について、さらに詳細なレポートになっていて興味深い。

比較的客観的な記述が進む中、いよいよj最後になって本人の主観が語られる。ただし、ここで語られる憲法九条に対するシンパシーは、私にとって違和感がある。日本が戦後、戦争をしないで済んだのは、憲法九条のおかげだ、という主張に、私はまったく賛成できない。

この手の、ものごとの原因を単純化してしまう思考は、しばしばとても危険だ。私は、共産党のある種の正義感については敬意を持つが、どのような経済的問題も、防衛費を削ったり、大企業に増税すれば解決する、という単純思考については、あきれてしまう。

私は日本がここしばらく戦争をせずに済んだ大きな原因のひとつが経済的な損得勘定だろうと思っている。もしかすれば、それは日本にとって、というよりも政治家や官僚にとって、ということだったのではないか。政治家や官僚の利害と、国民の利害がある程度一致していたのが、幸運な戦後の日本だった。

米国の貪欲な政治家や一部のエリートは、すでに国民を自分とおなじ人間とは見ていないようだ。日本でも、すでにそういう連中が増え、国や企業の中身がぼろぼろになっているように感じる。