小島慶子氏の間違った考え方

11月27日のTBS「小島慶子 キラ☆キラ」をポッドキャストで聴いた。

「キラ☆キラ」は、とてもいいゲストがたくさん出演しているため必ず聴いている。小島氏に関しては、典型的な日本のマスコミ的言説が鼻につくが、主張があること自体は悪くないと思う。

しかし、限りなく繰り返される日本のマスコミ的常識、つまり間違った考え方を、やはり小島氏もしていて、それを番組のオープニングで滔々と語るので、正直イライラした。

書き出してみる。

  • そろそろ「民主党ならなんでもいい、といった風潮は見直すべき」

どの国民が民主党なら何でもいい、なんて思っているのだろうか。この手の発言はマスコミや一部の学者の常套句である。
つまり「我々が少し煽ると極端な方向に向かう馬鹿な国民は、民主党ならなんでもいい、と思ってる」と彼らは考えているわけだ。
誰も「民主党なら何でもいい」なんて思ってない。自分たちは理解していて、国民は理解していない、という根拠のない自信はどこから来るのだろうか。

  • 自民党はすべてが悪かったわけではない

だから、誰も自民党のすべてが悪いと思ってない。

番組中で水道橋博士もやんわり指摘していたが、自民党は結党の目的の一つが改憲だ。自民党は護憲政党じゃない。また、平和憲法があったから平和が維持されたのではない。これは社会党共産党が行っているプロバガンダだ。信じる人がいるのだろうか。戦争している暇がないくらい国民が忙しく働き、それなりに発展してたからだろう。

  • 民主党一辺倒になって独裁になると困る

ほんとうの意味の政治をやるからには、権力は健全な形で集中させなくてはならない。権力が分散しすぎると、物事がいつまでたっても決まらない。独裁政治の抑制のしくみとして選挙によって政治家を選び、政権を交代させる選択肢を国民に持たせている。また、その中でトップを選び「決断」できるようにしているわけだ。自分たちが選んだ人間が、物事を進めにくくする必要はない。

間違った人間を選んだと思ったら次の選挙でそいつを落とせばいいだけだ。中途半端に「バランス」をとったつもりになって、自分たちの代表の足を引っ張ることに意味があると思っているのだろうか。

  • もっと国民の議論をしなくてはならない

そんなことできないから、議員を選んで、彼らに決めさせようとしているわけだ。
戦後のマスコミが行ってきた「もっと議論すべきだ」という言説は、思考停止を呼ぶだけの危険思想だ。
議論をするのはいいが無限に続けるわけにはいかない。決定し、行動しなくては結果が出ない。悪いものであれ、よいものであれ結果が出なくては改善できない。

自民党政権の一番の悪は、無作為だ。そして、失敗しなかったことだ。失敗しなかったのは成功し続けたからではなく、政治家としての仕事をしていなかっただけだ。判断せず、決めなかった。だから、成功もないが失敗もない。何も解決せず50年前の問題がきれいにそのまま残っている。

判断と決定のない政治は、価値判断に基づかない、方向性のないブラウン運動のような個別最適行政を蓄積させ、オーケストラの指揮者がいない国家は、個々の奏者が、ある人は献身的に、ある人は自己の利益のみを追求するソロを奏で、せっかくの優れた演奏者の資質を引き出せないまま、不協和音に満たされた見世物小屋と化しているのだ。

官僚が悪い。いや、政治家が悪いのだ。そして、判断を常に人に任せ、自分で決めない国民が最大の戦犯だ。そして、日本のマスコミ屋は、彼ら自身が描く自分自身の像とは異なり、その最大の戦犯である国民と一体だ。そう、高台から人を見下しているつもりの彼らマスコミ屋さんたちは、判断を停止し、既得権にしがみつく醜い国民そのものの象徴、天皇よりも象徴らしい象徴だ。