バカヤロー

朝まで生テレビ! - Wikipediaを確認していて、気になった。

大島渚が「バカヤロー」と発言して話題となった。

との記述があるが、私は最初にこの「バカヤロー」が発せられた瞬間にテレビをつけていて、前後の関係を知っているので、たんなる笑い話とは思えない。
当時の様子についての記述がネット上にあるかと思って探したが、ほぼすべてが一種のギャグとしての扱いだったので驚いた。仕方がないので、たくさん不具合があるだろうが、私の記憶していることを書いておく。

ずいぶん前の記憶なので、間違いもあると思うが、たしか次のような経緯だったはず。また、朝まで生テレビではなく、特番だったのではないかと思う。船上での少人数による対談のような形式ではなかったか。
テーマは、日韓関係。大島渚のほかに、韓国人で片言の日本語を話せる評論家が登場していた。当時は、今ほど日本人が韓国に対して興味を持っているような時期ではなく、話題になるとすれば、戦争やその後の補償に関する問題が多かった。
もともと、大島氏は「忘れられた皇軍」というドキュメンタリーの監督をするなど、日本が国家として、朝鮮半島の人々に対して何をおこなったを見つめる視線を持った人物である。このドキュメンタリーでは、日本軍人として戦い片手片足をなくし失明しながらも、韓国籍であったために戦後補償が受けられなかった人物に迫っている。
そのような大島氏だから、発言は至極まっとうであった。同時に、今後両国民が国家というくくりでなく、個人として具体的にこうして行くべきだ、という前向きな話をしていたように覚えている。
しかし、韓国人評論家は延々と後ろ向きの話をする。しかも、日本人の一部がおこなう韓国人差別と同じように、日本人をひとくくりにして単純化して非難する、という状態が続いていた。これはストレスが溜まるなあ、と思いながら聞いていたら、大島氏が「そんなことじゃないんだ!バカヤロー」と言ってしまった。すると、相手の韓国人評論家が「なんだとバカヤロー」と言い返した。
私が思うに、この評論家の日本語のスキルがあまり高くなく、また大島渚氏の作品などについての知識がなかったのではないかと思う。そのため、日本人=敵として恨み節の発言が続き、大島氏がそこで話した内容もあまりわかっていなかったのではないか。そのため噛み合わない話が続いた。しかし、さすがに「バカヤロー」は理解できたのだろう。ある意味生き生きした様子で「バカヤロー」と怒鳴り返したというわけだ。いまだにあの「バカヤロー」という言い方が耳に残っている。
なお、朝鮮語には「バ」「パ」の区別がない。日本語で「ra」と「la」がどちらも「ラ」になるのと同じだ。そのため、韓国を母国語として育つと「バカヤロー」という言葉の発音は意外と難しく、どちらかというと「パ」カヤローになるのだが、この評論家はなぜかちゃんと「バ」カヤローと言っていた。
テレビの対談番組で、ある程度教養があると思われる人々が「バカヤロー」と言い合うことは珍しかった。そのため、日本、韓国両国で話題となり、韓国のメディアは「大島渚は『韓国人はバカヤローだ』と言った」という恐ろしく単純化した報道をおこなったらしい。ただし、インターネットなどがない時代だから、これも雑誌や新聞、テレビなどを通した断片的な情報から私が受けた印象なので、実際にどうだったかはわからない。
その後、朝まで生テレビでも、大島氏は「バカヤロー」を使い、それはギャグのネタとして使われることになった。また、積極的にテレビのバラエティにも出演するようになった。
大島氏の「バカヤロー」は、たんに相手を罵倒するものではなく、コミュニケーションが取れないもどかしさ、理解しあえない苛立ちをぶつけるもので、怒鳴っている、というよりも悲鳴のように聞こえた。同時にこの言葉を繰り返すことで、表現やコミュニケーションに対する絶望を深めていったのではないかと勝手に思っていた。
ボキャブラ天国で笑っている大島氏に、絶望を超えて吹っ切れた状態を見るのは穿ちすぎかな。