「日の名残り」の主人公も「結婚できない男」だったなあ

カズオ・イシグロ原作でアンソニーホプキンズ主演で映画化された「日の名残り」。なんとも切ない映画だったが、あの映画の主人公スティーブンも「結婚できない男」だったなあ。それぞれを尊敬し、好意も持っているのに、一歩踏み出せないスティーブン。踏み出してしまえば、たいしたことはないのに。人生を過大評価することで、むしろ失ってしまっている。ちょうど執事として仕えた主人に対して盲目的な尊敬をしていたように。その主人が戦争犯罪人として名誉を失ってしまうことで自分の過ごしてきた人生そのものに確信が持てずに苦しむ。

阿部寛の「結婚できない男」はここ最近のテレビドラマでは一番楽しんで観ている。私の場合、阿部ちゃん演ずる桑野さんに比べると、すべての点ではるかに劣った「結婚できそうにない男」だったが、意味不明の選択をしばしばおこなうヨメに会ったために事故的に結婚することになった。まあ、自分を変える努力を少しはしたが。ただ、自分自身を見返しても明らかに私は「結婚できない男」類に属するし、何より3歳下の弟がそうだ。実際、弟は幸か不幸か意味不明の選択をおこなう変わり者の女性に出会うことなく、桑野さんと同じ独身のままの40歳に向かって少し猫背に早歩きで近づいていっている。そう、あの歩き方自体が「結婚できない男」なんだよな。自分の決めた目標に一直線。周りを見ないで効率的に目標物の間を行き来するのだ。だから、事故にあわないんだよな。まあ、効率的に安全な道を歩いていたら恋愛だの、結婚だのの事故にあわずに済むよな。それも選択のうちか。

そんなこと考えて、山下達郎の「蒼氓」を聴いていたら、「黄昏」っていう映画を思い出した。高校生のときに、何かの映画の同時上映で大分の町外れの映画館で見たような気がする。
人生の最終章を迎えたヘンリー・フォンダキャサリン・ヘプバーン演ずる夫婦が湖畔にある別荘にいるときに、一時的にやってきた折り合いの悪い娘の新しい恋人の息子を預かることで、娘への愛情を思い出すとともに自分の人生を振り返る。娘はヘンリー・フォンダの実の娘ジェーン・フォンダ。原題は「ON GOLDEN POND」で美しい映像と、ヘンリー・フォンダのクソ爺ぶりが印象的だった。なぜそんな映画のことを思い出したのかなあ。

そういえば結婚して明日で9年経つのだ。娘も生まれた。ただ、娘がこの映画のジェーン・フォンダの年齢になる頃には死んでるよな。私は。